提言54: 深刻化する“いじめ”について、もう一度考えてみよう   (2013/2/5 記)

1. “いじめ”の現状について考える
 大津市の中学校で2011(平成23)年末に起こったいじめに起因する自殺問題が、2012(平成24)年に入って、真相の解明を求める保護者の動きをきっかけとして表面化した。中学校や市教育委員会のこの問題に対する対応を巡り、様々な議論が巻き起こった。大津市は第三者委員会を設置して取り組むなど、解決を求める動きが盛り上がりをみせた。この問題はマスコミにも大きく取り上げられ、いじめに対する世間の関心も高まりをみせたが、次第にいじめに対する報道の取扱いも小さくなってきており、いじめについての関心が薄れてきたかのような印象を与えていた。
 しかし、いじめがなくなったわけではない。ごく最近では、2012(平成24)年12月、東京の私立中学生がいじめを受けて電車に飛び込むという自殺事件、東京都品川区の中学校でのいじめ自殺事件、さらに、今年に入ってからは、大阪の市立高校での運動部顧問による体罰に起因する高校生の自殺などがあり、いじめや体罰などによる児童生徒の自殺が後を絶たない。 では、いじめについて児童生徒はどのように意識しているのか。国立教育政策研究所の[いじめ追跡調査2007・2009 いじめQ&A](2010年10月)によると、2007(平成19)年度に小学校4年生だった児童が、2009(平成21)年度に6年生であった3年間に、『いじめに関わったことがあるか』の問いに対して、児童の77%、約8割に近い児童が』『加害者になった経験がある』、と回答している。このことから、いじめが日常の生活の中で、ごく当たり前に行われている行為であって、これが重大な問題であるといつた認識が児童生徒の中に育っていないということがわかる。また、いじめを容認するといった傾向が多くの児童生徒にあるということもわかる。
 いじめが顕在化すると、学校の指導や対応は、いじめる、いじめられるといった両者の関係の改善に向けられることが多い。しかし、実際にいじめに直接参加していないが、いじめを容認している児童生徒も多く存在しているという事実もある。いじめ問題の解決に当たっては、いじめる、いじめられる児童生徒、さらにこのことを容認している児童生徒、その他一般の児童生徒に対しても、きめの細かい、息の長い指導や取組を、学校は行うことが必要がある。

2. 児童生徒の問題行動は、時期によって変化していることを確認しておこう
 第二次世界大戦後の少年非行について、[少年非行の3つのピーク]ということがこれまでいわれてきた。
 [少年非行の第1のピーク]、戦後の混乱期の1945(昭和20)年から54(昭和29)年に重なるといわれている。貧困ゆえの非行が顕著であり、覚せい剤の乱用などもピークに達していた。
 [少年非行の第2のピーク]は1955(昭和30)年から64(昭和39)年にかけての時期である。1955(昭和30)年代の少年非行は、暴力による犯罪、恐喝や傷害などの粗暴的な犯罪が目立ち、シンナーの乱用の増加なども挙げられている。
 このような、児童生徒を取り巻く社会の状況を踏まえて、1965(昭和40)年3月、文部省は、『生徒指導の手引』を刊行した。そのまえがきで『近時、生徒の非行や問題行動が増加の傾向にあり、これは学校教育としても重大な関心事でなければならない』ということからの[手引]の刊行であると述べている。当時は少年刑法犯の検挙人員の多さが課題になっていた。
 1970(昭和45)年の頃には、三無主義(無気力・無関心・無責任)という言葉が流行した。動機や目的などがはっきりしない無気力な青少年による非行が目立ち始め、非行の低年齢化も懸念されるようになってきた。1974(昭和49)年頃には[遊び型非行]、あるいは[対教師暴力]などが目立ってきた。
 [少年非行の第3のピーク]は1975(昭和50)から84(昭和59)年のころの時期である。この時期、目立ってきたのが、14から15歳の年少少年の非行、次いで16から17歳の少年による非行である。また、女子の非行の比率が20%近くまで急増している。万引きを中心にした窃盗、校内暴力、登校拒否、暴走族の発生などの遊び型非行、家庭内暴力などが問題になってきた。これまでの貧困ゆえの犯罪・非行が、どこの家庭でも起こりうるという非行に変化したのが、この時期の特徴である。文部省が1981(昭和56)年に、『生徒指導の手引』の改訂版を刊行して、学校における生徒指導体制の在り方、青少年非行の現状と原因などについて紹介したのもこの時期であった。
 この[非行の第3のピーク]の後に注目されるようになったのが、[いじめ]の問題である。1985(昭和60)年頃から陰湿化した校内暴力が目立ってきた。単純な暴力ということではなく、いじめの対象者の持ち物を隠す、第三者の持ち物を隠し、いじめの対象者の行為とする、交換ノートなどに悪口を書く、机に花を置いて死亡したことにする葬式ゴッコといったいじめなど、精神的に追い込むいじめがみられるようになってきた。
 1986(昭和61)年、東京都中野区の中学校で起こったいじめ自殺事件がいじめ自殺事件の最初として大きな注目を浴びた。その後、1993(平成5)年には山形県の中学校で起こったマット死事件などがあり、1996(平成8)年には、文部大臣が[深刻ないじめは、どの学校にも、どのクラスにも、どの子どもにも起こりうる」として、[緊急アピール]を行い、いじめ問題の解決を訴えた。
 いじめについては、『児童生徒1,000人あたり7人がいじめを受けており、小学校4年生から中学校3年生までの6年間に、いじめ(仲間外れ、無視、陰口)から無関係でいられる児童生徒は1割しかいない』、という指摘が[いじめ追跡調査 2007-2009](国立教育政策研究所)でなされている。この指摘からもわかるように、学校の中には、いつも、いじめる、いじめられるという関係が存在しているということである。

3. いじめ、これは被害者が精神的苦痛を感じた時点から始まる
 2007(平成19)年1月19日、文部科学省は、それまでの、『いじめとは、自分より弱い者に対して一方的に、身体的・心理的な攻撃を継続的に加え、相手が深刻な苦痛を感じているもの』といった定義を、『当該児童生徒が、一定の人間関係にある者から、心理的、物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの。なお、起こった場所は学校の内外を問わない』と変更した。また、『個々の行為がいじめに当たるか否かの判断は、表面的・形式的に行うことなく、いじめられた児童生徒の立場に立って行うものとする』として、児童生徒の気持ちを重視することを求めている。
 いじめの種類については、[インターネット・携帯電話での中傷・悪口]などが追加されたが、最近では、[ネットを通してのいじめや中傷、いじめを撮影して動画サイトへの投稿]などの悪質ないじめも目立ってきている。
 この行為が、いじめに当たるか、否か、この判断の基準となるものはあるのか、どうか、実のところ、ここからが[いじめ]であるとする基準などはないのである。つまり、いじめは回数や時間ではなく、被害者側の実感、すなわち『児童生徒が心理的、物理的な攻撃によって、精神的な苦痛を感じた』(文部科学省)時点で、その行為はいじめとなるのである。
 だから、『ふざけていただけ』『これは冗談、冗談』という言い分は、[いじめる側の論理]であって、このことをもって、いじめはないといった判断をすることは危険である。いじめがあったかどうかの判断をする前に、学校側は『いじめられた児童生徒から十分に事情を聴く』こと、次いで、『学校や保護者が全力で守ってくれる』という安心感を、いじめられている児童生徒に与えることが大切である。いじめられている児童生徒を徹底的に守るという強い意思を教職員は十分に示すことが重要である。 
 また、いじめている児童生徒に対しては『いじめを許さない』という毅然とした姿勢で接し、指導することが重要である。いじめが起こったとき、教職員の気持ちの中に、深刻な問題が起こったということの認識の前に、この問題から逃げたいという気持ちが先立つことはないだろうか。この気持が問題を深刻化させてしまうこともある。個人でいじめ問題に取り組むのではなく、学校全体の問題として、すべての教職員が取り組むことへの共通理解と体制づくり、そして情報交換を日頃から行うことが必要である。

4. 学級担任は、児童生徒から頼られる人になろう
 『いじめられた児童生徒はだれに相談することが多いか』、文部科学省の[平成23 年度児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査]によると、『学級担任に相談する』と答えた児童生徒は、小学校で70.6%、中学校で70.3%である。『学級担任以外の教職員に相談する』と答えた児童生徒は、小学校で9.3%、中学校で19.1%である。ちなみに、『保護者や家族等に相談する』と答えた児童生徒は、小学校で34.1%、中学校で30.3%である。児童生徒の相談相手は小中高の全校種を通じて、『学級担任に相談』するが最も多い。このことから、教職員がいかに児童生徒から信頼されている存在であるかということがわかる。この信頼に応える行動をとることが教職員に求められているということができる。
 学級の中でいじめられていることを担任に相談するといった行動、あるいは、いじめがあることを告発するという行動は勇気のある行動である。このような行為や行動は、児童生徒が担任に対して十分な信頼を持っているからできるのである。このような行為や行動が自然にできる学級をつくり、学級経営に励む、このことが担任に課せられた責務であるということを自覚して取り組むことが求められているのである。

5. 担任している学級の、児童生徒との対話に努めよう
 いじめを根絶することは難しい、しかし、減らすための努力をすることはできる。そのためには、いじめが自分の学級を含めて、どこででも起こりうるものであるという認識を、教職員はいつも持っていることが大切である。
 いじめは、
 Œ 児童生徒たちには共同生活を送る中で生まれてくる軋轢があり、そのはけ口がクラスの中で、あの子なら仕方がないという対象に向けられたときに、
  学校の規則に従わないというモラルの低下・混乱が起きたときに、
 Ž 社会的な偏見や差別によって他の人間を排除しようとしたときに、
  閉鎖的な集団内で特定の個人を対象としたときに
  特定の個人に対しての暴行・恐喝などが繰り返されたときに、
 起こり得るものである。
 担任は いじめが いつ、どこででも、誰にでも起こるものであるといった認識を持つこと、そして、日ごろから学級の生活規律を確立しておくこと、また、担任している児童生徒とは機会をとらえて会話を交わすことなどを通して、お互いの人間関係を作り上げ、いじめ防止につなげていく必要がある。
 [いじめ、学校安全等に関する総合的な取組方針〜子どもの命を守るために〜]を 2012(平成24)年9月5日、文部科学省は発表した。『いじめは、決して許されないことであり、その兆候をいち早く把握し、迅速に対応することが必要です。現実的には、どの学校でもどの子どもにも起こり得るものです』と、前文で述べ、いじめ問題への対応強化を求めている。『いじめの早期発見と適切な対応を促進』するといった基本的な考え方に基づいた、『いじめの未然防止に資する日々の取組の推進』が求められているところである。

6. いじめには,いろいろなタイプがあることを熟知しよう
 いじめについては、被害者に対する殴打・拘束・服を脱がせるなど、身体に直接ダメージを与える、いわゆる[暴力系のいじめ]と、悪口や誹謗・中傷やうわさの流布など、コミュニケーションなどを介して、被害者に不快感や精神的なダメージを与える、いわゆる[コミュニケーション操作系のいじめ]に分けられている。一般的に、男子は[暴力系のいじめ]、女子は[コミュニケーション操作系のいじめ]といわれてきたが、最近では男女ともにこの区別の境界がなくなってきているといわれている。
 『特定の個人への暴行・恐喝を反復して行う』といったいじめの場合、加害者と被害者が異なるグループに属しているという場合、このような形の中で行われているいじめは、外からも確認されやすく、比較的指導の対象になることが多い。一方、加害者と被害者が同一のグループに属している場合は、いじめが陰に隠れてしまい、発見されにくくなり、指導を困難にしているということがある。お互いに同じクラスである、同じ学年であるという場合がそれである。そこには、いじめを告発する児童生徒がいない。いじめる者、いじめられる者、その場にいないため、直接いじめに加わっていないが、いじめを許し、傍観している者が同居しているため、いじめられている児童生徒のSOSが表面に現れてこないのである。
 最近、いじめの問題が起こると、児童生徒にアンケート調査を行い、そこに記入された内容からいじめの実態を把握しようとする手法が用いられることが多い。しかし、アンケートによる調査は時間的に深刻な状況が生じた後を追うことになり、防止策としての効果は薄い。アンケートだけに頼らず、日頃から教職員と児童生徒との信頼関係を強いものに作り上げ、一人一人の正義感を育てる努力が大切である。またいじめの状況を把握するという体制づくりに努めることも重要である。

7. いじめを未然に防ぐために、他者の取組や声にも耳を傾けてみよう
 また、高崎市教育委員会は、2006(平成18)年10月19日に[いじめの問題への取組の徹底について]の通知を小中学校に出し、Œいじめの早期発見・早期対応について、いじめを許さない学校づくりについて、Ž教育委員会による支援などの方策を示している。このような取組の内容はどこの学校でも活用できるものであり、参考になるところも多い。
 また、2012(平成24)年11月17日の新聞に、いじめ問題を取材してきた記者による座談会の記事が掲載されていた。そこには、いじめ問題に取り組む学校の課題、あるいは、いじめ問題がなかなか解決に向かって進まない現実が述べられている。 
 Œ いじめの端緒をつかんだとしても、いじめっ子が「遊んでいただけだよ」「ふざけ ていただけだよ」と言い逃れされると、それ以上教師が対応しないということがあり、これではいじめ問題の解決が困難になる
  いじめということを、道徳的に、あるいは人の痛みということで説明することも大切である。しかし、これだけに終わらず、教職員がいじめを許さない、解決のために努力しているという姿を示すことがさらに必要である
 Ž いじめの情報を全教職員で共有せず、数人で対応していたため、対応が十分に行 われなかったということもあった。全教職員がいじめについての共通した情報に基づいて指導を行うことが大切である
  学級の中の人気者が陰で人を操り、けしかけたりして、いじめをやっているということがあった。このことに担任が気付かず、十分観察することがなかったので、いじめを見抜くことができなかった
  家庭でのストレスを学校で間違った形で発散しているということがあった。学校と家庭が十分に連携して解決に取り組むことが必要である
  教職員の中に、いじめっ子、いじめられっ子の気持ちがわからないという人もいる。児童生徒の気持ちがわかる、理解できるといったことの研修を行うことも必要である
 このような外からの声にも謙虚に耳を傾け、参考になるものは受け入れていくという気持ちを持つこと、このことが、いじめ問題解決には必要である。

8. いじめ問題解決に向けて、これまでに提唱された取組を確認しておこう
 大津市の中学校でのいじめ自殺問題以降、各都道府県市町村ではそれぞれ独自にいじめ防止のための取組を進めている。このことがいじめ問題解決のための有効な取組となることを期待したい。また、いじめ問題の解決のために、これまで提唱された取組として、
 Œ 重要なのはいじめの早期発見である。学校・家庭・地域の協力体制を築く努力を進め、児童生徒の小さな変化を見逃さないようにする。
  管理職の職務の中に校舎内外、教室の見回りなどがある。気になる落書きなど、いじめの兆候を感じたら、担任に情報を提供する、教職員に注意を促すなど、いじめ問題解決に向けて、リーダーシップを発揮し、先頭に立って取り組む姿勢を示す。
 Ž いじめが起きない土台づくりのために、一人一人の児童生徒と担任との人間関係を築き、担任が児童生徒と十分に話し合える学級づくり、学級経営を行う。
  担任は児童生徒たちが出すサインを見過ごさないために、日頃から児童生徒と言葉 を交わすなど、人間的な結びつきを築くことに努めるとともに、いじめを見抜く力、解決に取り組む力を身に付け、いじめを許さないという姿勢を常に示していく。
  学級担任は日々注意深く児童生徒に眼を向け、いじめの芽に気づいたら早期に摘み取ることに努める。教職員はいじめに負けない強い気持ちを身につける必要がある。 
  学校で、[プロレスごっこ]などが目立つようになったとき、組織で対応できるよう、日頃から情報の収集、分析、あるいは事例研究などに努める。
  いじめという言葉で児童生徒の行為をすべてとらえず、いじめと[万引き・金品の強要]などの犯罪行為を区別して、間違いのない対応ができるよう自らの感覚を磨いておく、そして、毅然とした態度で対応することに努める。
  暴行罪、傷害罪、侮辱罪、脅迫罪などに該当する行為は犯罪である。関係諸機関との連携を十分に行うことで、校内からそのような行為を一掃することに努める。
  スクールカウンセラーによる教育相談機能などを十分に活用して、児童生徒の日々の生活が活力あるものになるように努める。
 などがあげられる。参考にしてほしい。
 2012(平成24)年11月23日の新聞に、全国の小中高校、特別支援学校が今年4月から9月までに把握したいじめの件数が14万4054件に上ったことが、文部科学省の緊急調査でわかったとの記事が掲載されていた。いじめ問題が無くなっていないことを示すものである。
 いじめは無くなっていない、しかし、減らすことはできる。もう一度、これまでの取組を見直し、解決に向けての努力をするという強い意思を互いに持ち、いじめを1つも出さないという目標を掲げて、いじめ問題に取り組んで欲しいと強く願うものである。

以 上   

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