提言59: 授業研究を通して教師の力量を高めよう   (2013/4/28 記)

 学習指導要領の理念を実現し、教育の質の向上を図っていくには、教師一人一人の力量の向上を図っていくことが重要である。授業の質の転換を目指した授業のデザイン、児童生徒の学ぶ意欲、思考力、表現力、判断力の育成等、どれも教師の力量に関わっている。
 子どもたちは意識をする、しないにかかわらず、周囲の大人の言動(心の動きも含めて)の影響を受けつつ自分の心を育てていく。親(家庭)、教師(学校)、近隣の大人(地域)、そして一期一会の大人、それぞれが、それぞれの機能や役割の特質を生かして、子どもたちの心をよりよく育てていくようにしたいものである。
 これまで、筆者は、「提言2:これから求められる学力」、「提言6:学ぶ意欲を引き出す教育を」、「提言26:教育研究を科学的な体系に高めよう」、「提言27:新学習指導要領完全実施を目指して校内研究を充実しよう」等で、教師の資質向上や校内研修について提言をしてきた。今回は「授業研究」に視点を当て、教師の力量の向上を図るための方策について述べてみたい。

1.「研究授業」と「授業研究」
 文部科学省や自治体ごとの研究指定校の研究発表会、自主的な学校の研究発表会、あるいは研究団体の研究発表会等、研究発表会では大抵「研究授業」が設定されている。また、校内研究会においても、「研究授業」が行われている。「研究授業」を通して、教師の力量の向上を目指そうとしているからである。
 「研究授業」が終了すると、その授業についての研究協議会が行われる。その研究協議会を、「授業研究」と称する場合もある。 
 「研究授業」と「授業研究」は、似たような言葉である。普段あまり気に止めずに使用しているが、同じ意味なのか、違う意味なのか、違うとすればどのような違いがあるのか考えてみる必要がある。

 (1-1)「研究授業」とは
 「研究授業」は、教師の専門的な力量を磨き合うため、教師が個人あるいは複数で、授業を公開してその授業の改善策を講ずるために行う授業である。したがって、「研究授業」を行う場合、学校や研究団体等が設定したテーマに基づき、仮説をたて、その仮説を実証する授業提案となることが多い。そして、授業後の協議会では、仮説を検証するための手だてが有効であったか、児童生徒が主体的に問題解決に取り組んでいたか、授業者と児童生徒が共に、教材を媒介とした創造活動に取り組んでいたか等の視点に基づいて、協議が行われる。
 研究発表会に参加した教師は、研究授業の参観を通して、児童生徒の活動や思考の深まっていく状況を直接把握する。また、授業者と児童生徒が共に授業を創りあげていく場面に出合ったり、新たな発見があったりすると、研究会に参加して良かったと感動するものである。当然のこととして授業後の研究協議会も有意義なものになる。 ところが、その日限りの参観者に対して、非日常的な授業に出合うこともしばしばある。指導案通り進行する鮮やかな展開の中で、一部の児童生徒の発言や考えを取り上げ、「そうですね」「分かりましたね」という授業者の言葉とともに授業が進められていく。児童生徒の主体的な活動はほとんどなく、思考や表現が中断してしまう、教師の一方的な授業である。
 このような授業後の研究協議会では、参観者が授業者の労をねぎらうことに配慮し、授業の問題点や改善点についての協議が深まらないことが多い。教師間の信頼関係が成立していない協議会では無理もないが、批判的なコメントがタブーとされ、他と異なる意見を言えない協議を何度重ねても、授業改善は期待できない。 
 研究授業後の協議会では、授業を参観した教師が個性的・主観的に見取ったことを互いに公表し合い、新たな教材観や授業観、児童生徒観等を創りあげていくことが重要なのである。 
 偏った捉え方であるかも知れない自分の見方や考え方を修正し、他の教師のユニークな着眼点を吸収し、新たな課題を発見するための機会として、研究協議会を位置づけるこが重要である。

 (1-2)「授業研究」とは
 日本の教育は、明治以来から学校内で、指導力を向上させるための手法として教師同士が研究し合うという文化が受け継がれてきた。伝統的に実践されてきた学校内での授業そのものを主体にした研究、即ち「授業研究」によって、教師の授業力や学級づくりが支えられてきたのである。
 「授業研究」は、近年においては「日本の授業研究」として認められ、海外の研究者や学校においても高く評価され、諸外国のモデルとなっている。そのままローマ字表記の「JUGYO KENKYU」という名で通用するようにもなった。
 学校の同僚同士で研究を行う習慣がなく、個人主義が徹底しているアメリカでも、近年は日本に倣って「授業研究」の導入が進められているようである。
 教師や教育研究者の多くは、授業研究は「授業改善」のために行うと捉えている。その通りである。しかし、これでは何か漠然としていている。そこで、「授業研究」における研究の対象は何か、その目的を具体的に捉えることが重要であると考える。
 筆者は、「授業研究」の重要な目的は、「授業を通して、これまで見られなかった児童生徒の活動や思考を発見すること」であると考える。対象(教材)と関わる児童生徒の活動や思考、そして新たな知識の創出等を研究の対象とするのである。教師の技術向上に役立ったかどうかとは別に、「授業で活動が深まり、対象との関わりや児童生徒相互の対話を通して、新たな知識の発見があった」「児童生徒の思考の過程が分かった」等、児童生徒の実態とその背景を教師が認識することを目的としたい。特に、日本の場合、授業研究は集団で行なわれる。その認識を教師が共有することが必要である。
 最近、日本においては「授業研究」や全国各地で活発に実施されてきた自主的な研修サークルが停滞しているようである。
 この停滞の要因について、福岡教育大の油布佐和子教授は、「日本の教育は質の高い授業研究に支えられてきた。しかし、教師の年齢構成のひずみ等により、その機能が低下しつつある。」と指摘している。
 現在、学校現場では教師の新卒採用が増えている。しかし、新卒者の上の世代は50歳以上が多く、20代後半から40代が少ないというアンバランスな年齢構成になっている。学校においても上と下をつなぐ世代が抜けているため、ベテラン教師の学級づくりや指導技術が若手へとスムーズに伝わらないために、授業研究が形骸化しているのかも知れない。
 学校においても上と下をつなぐ世代が抜けているため、ベテラン教師の学級づくりや指導技術が若手へとスムーズに伝わらないために、授業研究が形骸化しているのかも知れない。
 「授業研究」を活性化し、教師同士が協働してお互いの授業を批判したり、検討したりして、児童生徒の活動や思考を発見することを目的に進めるようにしたい。したがって、校内における「授業研究」は「研究授業」と関連させて進めていくとともに、「授業とは何か」という授業観を共通に認識しておくことが必要である。
 学校全体、教師個人が、着実に力を積み上げられる授業研究の方法、今の時代に合う授業研究とはどのようなものか探っていかなければならない。

2.授業とは何か
 授業とは何かと問うと、様々な授業観が論じられる。校内の授業研究に当たって、教師の授業観がバラバラでは、授業研究は深まらない。
 筆者は、「提言32:問題解決の授業をデザインしよう」で、授業とは「児童生徒と教師が対象(教材)を媒介とした創造活動である」と記述した。授業観に基づいて、「授業において、これまで見られなかった児童生徒の活動や思考を発見すること」に視点を当てて、授業研究を進めることが必要である。
 授業をデザインするのは教師であり、授業の方向付けをするのも教師である。しかし、教師は知識や技能の分配者であってはならない。受動的に、一方的に教え込まれた知識は、いかに多くても、児童生徒の主体性や創造性の育成に結びつくとは限らない。教師は児童生徒が自ら学ぼうとする意欲と主体的、創造的に問題解決の能力を習得できるように、児童生徒の支援者に徹することが重要である。
 このような教師の姿勢があってこそ、「授業を通して、これまで見られなかった児童生徒の活動や思考の発見」等を見出すことができると考える。

 (2-1)授業評価に基づいた授業のデザイン
 授業のデザインは、授業についての1つの仮説を立てることであり、実践へ向けての事前の理論化でもある。したがって、デザインされた授業は、実践によって実証されたり、修正を加えられたりしながら、次の仮説を創っていくものでなければならない。それが授業の評価であり、その検証をするのがまた授業である。
 授業のデザインは、授業評価に基づき、児童生徒が主体的、創造的に問題解決を進めていくようにすることが最も重要である。

 (2-2) 授業実践を通して授業力を磨く
 授業は教材に働きかける児童生徒の活動でもある。児童生徒は活動を好む。しかし、その活動を児童生徒の恣意に任せると、活動は活発であったとしても、目標からはずれたり、無意味であったりすることになりやすい。

 (2-3) 次の授業を創る研究協議会
 デザインされた授業が、実践によって実証されたか、授業のなかにこれまで見られなかった児童生徒の活動や思考の発見があったか、見つかった問題点等を、授業参観をした教師によって、自由に話し合われ、確かめ合うような研究協議会になったかを評価することが重要である。また、個々の偏った見方や考え方が修正されたか、他の教師の着眼点や意見が理解されたか等、個々の教師の変容に繋がったかについても考えていくことが必要である。つまり、次の授業をデザインするために役立つ研究協議会であったかを評価しなければならない。

3 校内研究の中核に「授業研究」を位置付けよう
 校内研究では、授業実践を通した研究が何よりも重要である。教材研究や授業研究、教師同士の相互評価といった取り組みは、学校の組織力を生かすことによって効果が上がる。

 (3-1)校内の研究授業
 東京都のように、新年度には3000人を超える初任者が、学校に配置される現状を考えると、何としても校内研究を通して、教師の力量を図っていくことが急務である。
 それには、授業実践を通した研究が重要である。文部科学省や自治体ごとの指定校等、外部から与えられた研究テーマに沿って「やらされる」研究授業であってはならない。
 研究授業を特別な扱いにせず、まず、日常の授業をお互いに公開し合い、そこでの気づきを情報交換し合うものに改革していくようにしたい。教師同士が「児童生徒の活動や思考を発見する」ために主体的に学び合う研究会として、研究授業を位置づけることが必要である。

 (3-2)研究の中核は「授業研究」
 専門職としての教師の力量は、授業において問われる。その力量とは、授業者にとっては、授業における児童生徒理解と教材研究の能力や授業力である。
 授業の充実を図り、授業の質を高めていくには、「授業研究」が最も重要である。一口に「授業の中で考えたり、討論したりすることの楽しさを実感できる授業づくり」と唱えても、容易にできるものではない。児童生徒が何を問題として捉えるか、何を手がかりとして考えるか、それらを可能にする対象としての教材の選定、教材を媒介とした教師と児童生徒との創造活動等、授業のデザインにはそれ相当の工夫や研究が必要である。また、授業をデザインしていくために必要になるカリキュラム等、授業実践とそれを支える理論を授業研究によって明らかにしていくことが重要である。

 (3-3)世代間ギャップを取り除く授業研究の工夫
  「研究授業」や「授業研究」に関する最近の世代間の実態として、次のような事項が表面化しているように考えられる。
  ● 研究授業者には、若手教師を指名するケースが多い。
  ● 参観する年配教師は、若手から学ぶという意識が希薄である。
  ● ベテラン教師が授業をしたとしても、若手は「あの先生と自分は違う」と距離を置 いてしまいがちである。
  ● 若い教師は失敗を恐れて「そつなくこなそう」という傾向がある。
  ● ベテラン教師は「人よりも抜きん出よう」という姿勢で臨み、自分なりの工夫をア  ピールしようとする。そこには、昔は失敗に対して寛容な社会だったという事情もあるからと考えられる。
  ● 若い教師は個人主義でマニュアルに慣れているが、自分自身で創意工夫し、自ら創  造しょうとする意欲が弱い。
 こうした世代間のギャップは、学校の組織としての結び付きを弱める方向に働いていくかも知れない。したがって、校内の「研究授業」や「授業研究」を活性化し、継続していくためには、世代間のギャップを取り除き、ベテラン教師の指導技術が若手教師へとスムーズに伝わっていく、組織体制を整えることが重要である。

 (3-4)「形式」重視の従来型から自然発生型の授業研究へ
 従来の「形式」を重んじる授業研究から、インフォーマルな授業研究へ変革することによって、授業研究は活性化すると考える。これまでのように、研究テーマを掲げ、主任を決めて、報告書を作成したり、研究発表会を計画したりする等、形式にこだわって研究システムを構成するとなれば、それだけでもかなりの労力を必要とする。
 形式張った授業研究から発想を転換し、本当に意欲のある教師が「自分の授業を見てください」「児童生徒の活動や思考の有様を見てください」と声をかける等、最初はインフォーマルに進めていくようにしたい。成果が上がれば、他の教師も「自分もやってみよう」と近づき、次第に授業研究の集団が形成されると考える。校長の学校の実態に基づいたビジョンと指導力があれば可能である。

 (3-5)児童生徒の活動や思考を発見する授業
 「児童生徒の活動や思考を発見する」には、児童中心の授業でなければならない。児童生徒の経験に基づいて、価値を追究し、知識を創造していく授業である。したがって、解決しなければならない問題は児童生徒が決め、児童生徒が中心になって問題を解決していくように授業を展開していくことが必要である。
 例えば、児童生徒が学習の対象である自然の事物・現象の不思議さに気付き、問題を主体的に自覚し、把握するとによって、それを解決せずにいられないという精神的に不安定な状態になる。そして、それを解消し精神的な安定を図ろうとする欲求が、解決への意欲へ繋がっていく。教師の支援を借りながらも、主体的に解決への行動を起こすことになる。 自然の事物・現象から捉えた問題を、時には直感的に、あるいは必要とする情報を集め、整理し、論理を中心にして、経験と関係付けたり、意味付けたりして、問題を解決していくようになる。
 このような授業を進めることによって、教師には児童生徒の活動や思考についての何かが見つかり、何かしら気付くものがあるはずである。
 授業研究では、多くの教師の目で確かめ、それを共有することが重要である。授業を通して研究し、さらに自己研鑽を積み重ねていかなければならない。
 これらは、ベテランになれば身に付くものもあるかも知れない。しかし、自らその気になって研鑽、研究を行うことが必要である。
 「授業」を研究したり、「研究」したことを授業に生かしたりすることによって、授業に活力が生じてくる。また、「授業研究」を真剣に行うことによって、若い教師は授業力を伸ばし、育っていくことができる。

4.授業研究は教師の問題解決であることを認識しよう
 教育は、生きた児童生徒を対象とする実践の学問である。したがって、理論は分かっていても、それを実践に移すことができるようになるには、かなりの経験を必要とする。失敗はあっても、その失敗から学ぶことは多くある。校内研究を継続することが何よりも重要である。
 学級を担任していると忙しさだけが追いかけてくる。このような日々の中で、実践が研究に繋がるようにするには、教師が問題をもって実践しているかどうかということに関わってくる。
 問題は小さい(容易)ものから大きい(困難)ものまで数多くある。たとえ小さい問題でもそれを解決することは問題解決である。つまり問題をもつことが重要なことである。児童生徒が問題をもつことと、論理は同じである。授業研究は教師の問題解決である。

以 上   

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