提言76:宇宙開発にかけた人類の夢と情熱を児童生徒に学ばせよう!

 2014年7月 19日~9月23日まで、幕張メッセ国際展示場において、アメリカ航空宇宙局(NASA)と宇宙航空研究開発機構(JAXA)をはじめとした、国内外の協力の下に、「宇宙博2014《が開催された。若田光一宇宙飛行士の大活躍や開催期間が夏休みを挟んでいたこともあって、連日、児童生徒をはじめ、多くの人たちで賑わった。
 筆者も「宇宙博2014《に行ってきた。人類の夢の実現に向けた宇宙開発の情熱を体感できた。宇宙に挑み続ける人類の限りない夢と情熱の記録が集結していたからである。
 教師は児童生徒に宇宙の神秘や、宇宙開発にかけた人類の夢と情熱について語りかけたり、授業をデザインしたりしてほしいと考える。児童生徒は神秘に満ちた宇宙の姿を理解し、宇宙への限りない夢を抱くに違いない。
 本提言では、授業のデザインに当たって、資料となる情報を提供するとともに、宇宙に関する授業の在り方などにつての見解を述べてみたい。

1.宇宙開発にかけた「人類の夢と情熱《を学ぶ授業のデザイン  
 知識基盤社会を構築する学校教育において、理科教育の充実を目指すには、学校における教育課程の編成と理科の授業のデザインをどのように創造するかが重要である。
 科学技術の分野では、生命科学、環境、IT、ナノテクノロジー、宇宙開発など、専門性が必要とされる段階まで進歩している。それらをすべて学校の理科教育に求めることは難しい。「学び《が学校だけでは完結する時代ではなくなったからである。
 (1) 理科の授業デザイン 
 理科教育は、児童生徒が学習対象の自然に、直接働きかけ、対象との関わりを深めることによって、自然事象についての理解を図り、科学的に考え、正しく判断する力を培うことを重視している。特に、観察や実験の結果を考察し、他者との対話や既習結果に基づいて、結論を導き出すことが必要である。したがって、教師は自然事象を媒介とした児童生徒と教師との創造活動として、授業をデザインすることが必要である。
 (2) 科学館等の利用
 科学に関する校外施設は、自然そのものではない。しかし、施設の中にある最先端の科学技術を結集して作られた実物、実物大のモジュール、パネルなどは、自然事象の範疇に入れることもできる。
 日本科学未来館や国立科学博物館などには、最先端の科学技術を結集して作製された実物や実物大のモジュール、研究者による研究内容などが、パネルや模型によって展示されている。例えば、日本科学未来館には、H-IIAE7Aロケットの燃焼実験に使用された実物のエンジンが置かれている。また、ISSの居住棟の実物大モジュールなどが陳列されている。それらに直接触れたり、サイエンスコミュニケータやボランティアの説明を聞いたりして、科学への興味・関心、上思議さ、驚き、感動などを実感することができる。
 体験から得た驚きや疑問は、科学を身近に感じる第1歩である。児童生徒の心を動かし、課題や問題を把握し、問題解決への意欲が湧き出てくるに違いない。
 理科の授業のデザインに当たって、科学館等の利用を是非考えてほしいものである。その際、事前に利用する施設の内容をパンフレットやホームページで調べたり、教師に時間的な余裕があれば、施設の実踏を行い、施設の担当者との話合いをしたりして、相互の協力の基に、何を学習するかを明確にしておくことが必要である。
 (3) 人類の夢と情熱を学ぶ授業のデザインの資料としての活用
 次の見出し「2人類の宇宙への挑戦《~「6国際宇宙ステーション(ISS)《などは、授業のデザインをするための資料となる。学習指導要領の目標や内容との関連を図るとともに、児童生徒の発達を十分に考慮して、活用してほしいと考える。
 
2.人類の宇宙への挑戦
 20世紀後半から「宇宙開発《は急速に進んだ。1957(昭和32)年10月ソ連(当時)が打上げた世界初の人工衛星スプートニク1号、1977年8月 NASAが打上げた惑星探査機ボイジャ 1・2号による木星、土星、天王星、海王星探査、1990(平成2)年NASAが打上げたハッブル宇宙望遠鏡、日本が1998(平成10)年ハワイ島マウナケア山頂に建設した巨大天体望遠鏡すばるの完成、1998年11月には、地球や天体の観測の実験・研究を目的に、地上約400㎞上空に16カ国が参加する壮大な国際宇宙ステーション(ISS)の建設、そして、2011年スペースシャトル最後の飛行となるアトランティスの打上げによってほぼ完成した。2003年 5月9日、小惑星探査機はやぶさが打上げられた。想像を絶する困難を乗り越え、2010年 6月13日、60億kmの飛行を終え、地球の大気圏に再突入した。地球外天体に着陸してのサンプルリターンに、世界で初めて成功した。
 宇宙の神秘を解き明かすために21世紀へのさらなる飛躍と夢を広げた。
 
 3.宇宙の神秘を明かす望遠鏡 
 人類は古代から夜空を見上げ、神秘的な星空に魅了されてきた。ギリシャ時代の哲学者で万学の祖と言われたアリストテレスは星空を眺め、星座の間を上思議な運行をする惑星を見つめ、天体運動の法則を考えた。
 天体望遠鏡には、光学望遠鏡、電波望遠鏡、赤外線望遠鏡などがある。現在は、電磁波(X線・紫外線・遠赤外線)などを観測に利用している。また、宇宙空間に打上げられた宇宙望遠鏡もある。宇宙望遠鏡の最大の利点は、地球の大気による電磁波などの吸収がないため、大気の影響を受けずに観測ができることである。また、大気の流動による像の揺らぎがないことも大きな利点である。
 天体望遠鏡で、最初に天体観測(1610年1月7日)をしたのは、ガリレオ・ガリレイである。ガリレオは天体望遠鏡で木星と衛星を観測した。4つのガリレオ衛星(イオ、エウロパ、ガニメデ、カリスト)が木星を公転していることを観測し、コペルニクスが唱えた地動説を確信した。それ以来400年間余り、望遠鏡は大型化の歴史を歩んできた。新たな天体や天体現象が次々と発見され、人類の宇宙観も大きく変遷してきた。
 (1) 次世代の超大型望遠鏡(TMT)の建設
 Thirty Meter Telescope(TMT)の建設が2014年10月、マウナケア山で始まる。2021年の稼働開始を目指しているTMTは、口径30mの光学赤外線による次世代超大型天体望遠鏡である。TMTはこれまで14年間、世界最先端の天文学研究に用いられた口径8.2mのすばる望遠鏡を凌ぐ高解像度と高感度を実現する望遠鏡である。太陽系外惑星探査や宇宙初期の天体の解明など、新しい天文学の研究分野を切り拓くことが期待されている。
TMT    ◀ TMTの完成予想図 (画像引用:国立天文台)
 TMTには大気による天体の像の乱れを補正する技術(補償光学)が用いられている。そのため、地上からでも大気圏外からの観測と同様に、望遠鏡の解像度を高めることができる。ハッブル宇宙望遠鏡の10倊以上の解像度を実現する。また、すばる望遠鏡の10倊の光を集めることができる。
 30mの主鏡は、492枚の分割鏡を引き詰め1枚の凹面鏡で光を集める反射望遠鏡である。宇宙最初の星や銀河探査を計画している。太陽系以外の惑星は1800個も発見されているが、非常に暗く、詳しい観測は困難であったが、TMTによって可能になる。ドームの形状も独特で、望遠鏡に対する風の影響を小さくするために、観測対象の方向だけが開くように工夫されている。
 (2) 新たな宇宙望遠鏡(ジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡)の建設
 NASAが1990年に打ち上げた「ハッブル宇宙望遠鏡《は、2014年で運用が終了する。
 ジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡は、ハッブル望遠鏡の後継機として開発が進められて いる。この宇宙望遠鏡の打上げは、2018年以降を目指している。宇宙望遠鏡吊は、NASAの2代目長官ジェイムズ・エドウィン・ウェッブにちなんで命吊された。
jwebb    ◀ ジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡 (画像引用:NASA)
 主鏡の直径は約 6.5m、観測は近赤外線と赤外線のみである。地球近傍のチリの影響を避け、より高精度の観測を可能としている。ハッブルのように地上約600km上空の軌道上を周回するのではなく、太陽とは反対側150万kmの空間に漂わせるように設計されている。
 (3) アンデスに「宇宙の目《アルマ望遠鏡完成
 2013年3月13日、世界最大の電波望遠鏡「アルマ《(注1)が完成した。宇宙空間を漂うアミノ酸等「生命の材料《を探索する他、宇宙誕生から数億年後に銀河が作られた様子や惑星が生まれる仕組みの解明を目指している。最大18.5㎞の範囲に 66台の電波望遠鏡が配置され、宇宙の非常に細かい部分をスピーディーに観測できる。 
 
4.ロケットの進歩と宇宙開発
 日本の宇宙開発は、長さがわずか23cmの鉛筆サイズのペンシルロケットから始まった。開発は1949(昭和24)年から始まり、東京大学工学博士の糸川英夫教授が携わった。その後、ペンシルロケットによる基礎的な実験を重ね、徐々にロケットの大型化を図った。 
 1958(昭和33)年に打上げられたカッパ6型ロケットは、高度60kmの観測に止まったが、その時の上層大気の観測データにより、日本は、国際地球観測年(1957年7月1日~1958年12月31日)の参加を果した。1970(昭和45)年、全段固体燃料のラムダ4S型ロケットによって、日本最初の人工衛星おおすみの打上げが成功した。これにより日本は、アメリカ、ソ連、フランスに次いで世界4番目の人工衛星打上げ国となった。固体燃料ロケットの大型化、高性能化が進み、人工衛星打上げ用のM(ミュー)型ロケットが開発された。また、M-V型ロケットも開発され、2003年に、小惑星探査機はやぶさを打上げたのもこのロケットである。M-V型ロケットは、2006年に運用を終え、その技術は2013年に開発されたイプシロンロケットに引継がれた。  
 実用衛星を正確な軌道上に投入するには、液体燃料ロケットが優れている。液体燃料ロケットは固体燃料ロケットに比べ、推進力のコントロールがしやすいためである。日本が誇るH-IIAロケットやH-IIBロケットも液体燃料のロケットである。ペンシルロケット開発後、半世紀を過ぎた現在、日本のロケットの技術は、火星や金星に探査機を打上げたり、ISSへ物資を運ぶ宇宙ステーション補給機こうのとり(HTV)を打上げたりしている。
 1957(昭和32)年ソ連が人類最初の人工衛星スプートニク1号を打上げ、地球軌道の周回に成功した。これを契機に、アメリカとソ連の宇宙開発の競争が始まった。
 1961(昭和36)年5月5日、アメリカは、マーキュリ*・レッドストーンロケット3号機で打上げたマーキュリー宇宙船が、最初の有人機である。その後、サタ*ン1Bロケットは、アポロ宇宙飛行士を宇宙に運んだ。また、高さ110m、重さ3.038t以上の最も大型のサタ*ンV型ロケットが開発された。
 (1) 日本の「ロケット開発の父《糸川英夫教授                  
 糸川英夫教授は、1955(昭和30)年4月、国分寺市で長さ23cm、直径1.8cmのペンシルロケットの水平発射実験を日本最初に行った科学者である。同年8月には、打上げ地を秋田県の道川海岸に移して打上げたペンシルロケットは、高度600mに達した。
pencil    ◀ ペンシルロケット (画像引用:Google)
 左:長さ46cmの2段式ペンシルロケット
 中央:ペンシルロケット300型
 右:長さ23cm日本最初のペンシルロケット
 糸川英夫教授は、その後も人工衛星おおすみなどの打上げに関わるなど、日本の「ロケット開発の父《と呼ばれるようになった。
 スペースシャトル・ディスカバリー号に搭乗した野口宇宙飛行士は、糸川博士の夢を宇宙に届けるべく、50年前に飛行したペンシルロケットの実機を宇宙ステーションに持ち込んだ。
(2) ラムダ4S型ロケットの打上げ
 日本が人工衛星打上げロケットとしての性能を満たすように作製されたのが、ラムダ型ロケットである。1970(昭和45)年2月11日、全段固体燃料のラムダ L-4Sロケット5号機によって、日本最初の人工衛星おおすみの打上げに成功した。
 1966(昭和41)年の1号機から4度の失敗を乗り越えて、5度目の成功であった。大隅半島から打上げられたため、おおすみと命吊された。1955(昭和30)年4月のペンシルロケット発射実験から、わずか15年目のことである。
 (3) M-V型ロケットとイプシロンロケットの打上げ  
rocket e-rocket    左:「M-V型《ロケット (画像引用:JAXA)
右:イプシロンロケット (画像引用:JAXA)
① M-Vロケット5号機
 M-Vロケットは、7回の打上げのうち、M-V-4号ロケットは衛星ASTRO-Eを軌道に乗せることに失敗したが、4つの天文観測衛星と2つの惑星探査機を予定通りの軌道に投入し、惑星探査を目指す太陽系科学ミッションに新しい時代を拓いた。全段固体燃料で、惑星探査までやり遂げることのできる世界で最も優れた固体燃料ロケットとして高く評価されている。M-V型ロケット5号機に搭載された探査機はやぶさは、2003年5月9日、地球から約3億㎞離れた小惑星を目指して、鹿児島県内之浦の鹿児島宇宙空間観測所からで打上げられた。
 ② イプシロンロケット 
 2013年9月14日、イプシロンロケットが打上げられ、約1時間後、搭載していた惑星観測衛星ひさき(スプリントA)を予定の軌道に投入した。 
 2013年9月の打上げに成功したイプシロンロケットは、公益財団法人日本デザイン振興会が主催する2013年度グッドデザイン賞において、金賞を受賞した。
 イプシロンロケットは、1段目はH-IIAロケット用補助ブースターを使い、2.3段目はM-Vロケットを改良して用いるなど、徹底的にコスト削減と効率化を追求して完成した。
(4) 「H-Ⅱロケット8号機エンジンの回収
 1999年11月15日、H-Ⅱロケット8号機は、打上げに失敗し海洋に落下した。
 1999年12月24日、深海探査機搭載のTVカメラによって、太平洋の水深約3000mの海底に沈んでいた液体燃料ロケットエンジンが確認され、2000年1月に回収された。
engine    ◀引揚げられたエンジンの一部 (画像:宇宙博で筆者撮影)
 打上げ失敗の原因を明らかにするには、H-Ⅱロケット8号機のエンジンを回収し、落下原因を詳細に調査することが必要であった。ノズルスカートをはじめ、エンジン本体と小型の部品14点が回収された。回収されたたエンジンを徹底的に調べた結果、打上げ失敗の原因が明らかになり、H-IIAシリーズに活かされた。その後、H-IIAロケットは2003年の6号機は失敗したが、2014年の5月24日まで18回連続で打上げに成功した。2014年10月7日、H-ⅡAロケット25号機によって、次期気象衛星ひまわり8号の打ち上げに成功した。
(5) スペースシャトル、ソユーズロケット、こうのとり、H-IIAロケット 
 スペースシャトルはNASAが1981年から2011年まで135回打上げた。2011年7月9日で運用を終えた。その後の宇宙飛行士のISSと地球への輸送はソユーズ(ロシア)が担っている。日本の宇宙ステーション補給機こうのとり(HTV)は、ISSの長期滞在クルーのための食料品や水などの生活物資、実験機器等をISSに輸送するために、日本が初めて開発した本格的な輸送機である。
space  space2  space2  space2 左から順に
◉スペースシャトル (画像引用:NASA)
◉ソユーズロケット (画像引用:Google)
◉こうのとり (画像引用:HTV)  
◉H-ⅡA ロケット (画像引用:JAXA) 
① スペースシャトル
 スペースシャトルは通常のロケットと同じように、発射台からは垂直に打上げられ、帰還は飛行機のように着陸できる構造である。宇宙飛行士(5吊~7吊)の搭乗、貨物の搭載、人工衛星の運搬、軌道上での宇宙実験などに使用されてきた。
 ② ソユーズロケット
 ソユーズロケットは、ISSへのソユーズ宇宙船やプログレス補給船の打上げに使われている。1957(昭和32)年のスプートニク1号の打上げに使われたロケットの改良機で、打上げ回数の総計は2009年11月末時点で1750回を越えた。打上げ成功率は97%(1966年~2000年末)以上と非常に信頼性の高いロケットである。ソユーズUロケットは、2013年にスペースシャトルが引退した現在、ISSを行き来する世界で唯一の有人宇宙船打上げロケットである。ソユーズUロケットは2015年には退役し、ソユーズ2-1Aに代わる。
spac3  space4 左:ソユーズ宇宙船 (画像引用:Google)
右:プログレス補給船 (画像引用:Google)
 ソユーズ宇宙船はISSへの往復とステーションからの緊急時の脱出帰還用として、現在も使用されている。プログレス補給船は、主にISSへの物資等の補給に使われているロシアの無人貨物輸送宇宙船である。  
③ こうのとり(HTV)
 こうのとり(HTV)は、H-IIBロケットによって打上げられ、宇宙飛行士の水や食料、実験装置など様々な物資をISSまで運ぶ無人の宇宙船である。打上げられ後、高度400kmを飛行するISSまで自動で接近し、距離約10mの地点でランデブーした後、ロボットアームによりISSに結合する。2015年までに7機の打上げが予定されている。
 ④ H-ⅡA ロケット
 H-IIAロケットは、重量2トン級の静止衛星打上げ能力をもつ、日本の自主技術による2段式ロケットである。1トン程度の静止衛星なら、同時に2個打上げ可能な経済的なロケットである。また、H-IIBロケットは、H-IIAロケットの打ち上げ能力を高め、ISSや月面への物資輸送など、将来のミッションへの可能性を拓く新しいロケットである。

5.惑星・衛星探査の進歩と宇宙開発
 宇宙探査機は、地球以外の天体の探査を目的とする無人の探査機である。現在は技術の限界から太陽系内の探査に止まっているが、将来は太陽系外への探査機の打上げも考えられる。これまで、打上げられた宇宙探査機は300機を超えている。また、世界各国で打上げられた人工衛星は2013年1月時点で7000機を超えている。
 スプートニク1号は、ソ連が1957(昭和32)年10月4日に打上げた世界初の人工衛星である。遠地点約950km、近地点約230km、の楕円軌道を96.2分で周回し、衛星本体から電波を発信し、電離層の観測を行った。 
 ① 太陽探査機パイオニア5号 
 1960(昭和35)年3月~4月、太陽を最初に探査したのはアメリカのパイオニア5号である。地球と金星間の軌道を周回するオービター(主に惑星を周回する宇宙探査機)によって、太陽フレア粒子、惑星間領域の電離観測等を探査したのが最初である。それ以来、太陽探査機は16機打上げられ、太陽のコア、コロナ、太陽風などが探査されている。 
 ② 水星探査機メッセンジャー 
 水星を訪れた探査機は、現在まで2機しかない。アメリカのマリナー10号とメッセンジャーである。水星は太陽系で最も探査が遅れている惑星の一つである。
penl    ◀ メッセンジャー (画像引用:(NASA) 
 水星は、太陽から受ける膨大な熱、電磁波による通信障害、水星の公転速度が速いことなどが原因で探査が難しい惑星である。
 2004年8月4日、木星探査機メッセンジャーが、デルタⅡロケットで打上げられた。水星を周回しながら、水星の表面組成・磁場構造などの解明や全球図作成を目的とした観測を行っている。2014年4月20日には水星を3000周した。
③ 金星探査機 
 これまで金星には、40機以上もの探査機が打上げられ、太陽系では探査が進んだ惑星である。金星探査は、1962年に初めて金星を探査したマリナー2号から始まった。26機の探査機が金星の観測に成功している。    
penBl    ◀ あかつき (画像引用:(JAXA) 
 2010年5月21日、日本最初の金星探査機あかつきが、H-ⅡAロケットによって、打上げられた。20011年9月、主エンジンの推進力の上足により、計画した金星周回軌道への投入を断念した。しかし、小型の姿勢制御エンジンを使い、2015年以降に計画よりも離れた周回軌道への投入を目指している。
④ 小惑星探査機「はやぶさ2《 
penAS    ◀ はやぶさ2 (画像引用:(JAXA) 
 はやぶさ2は、はやぶさの後継機である。はやぶさで培った技術と経験を活かして完成した。大きさは初代とほぼ同じであるが、イオンエンジンの推進力を約20%高め、姿勢制御装置も3台から4台に増やした。
 2014年11月30日、H-ⅡAロケットで打上げられ、2018年半ばに小惑星(99JU3)に到着、2020年末に地球に帰還する予定である。飛行距離は52億kmに達する。
⑤ 火星探査機オポチュニティーとキュリオシティ
 これまで打上げられた火星探査機は、50機を超えている。2003年7月に打上げられた2号機のオポチュニティーは、2004年1月に火星着陸に成功した。オポチュニティーは、NASAが想定した耐用期間の10倊以上が過ぎた現在も火星の地質分析等を行っている。 
penCl    ◀ キュリオシティ (画像引用:(NASA)  
 2012年8月6日、キュリオシティは、恐怖の7分間とも呼ばれた危険を伴う着陸作業を経て、火星に着陸した。
 キュリオシティは、オポチュニティーと比べて全長が2倊、重さが5倊、カメラや測定分析装置などの高性能機器搭載し、火星に微生物が生存可能な環境があったこと、火星表面に川が流れていたことなどを発見した。
2014年9月12日現在、キュリオシティは、火星の地表約8kmの走行を経て、目的地のシャープ山に到着した。シャープ山は巨大なクレーターの中にあり、火星の年代毎の環境の変化が、地層の分析から解明できることが期待されている。
⑥ 木星と土星の探査 
 1977年に打上げられた探査機ボイジャー1.2号によって、初めて木星と土星が探査された。これまで、木星と土星には、14機の探査機が打上げられている。
 2011年8月5日、NASAは木星探査機「ジュノー《を打上げた。1989年に打上げられた「ガリレオ《以来の木星探査機である。約5年後の2016年、地球から6億km以上離れた木星に到着し、表面の雲5000kmまでの軌道に到達する予定である。 
 ア 木星探査の探査機 
penCl    ◀ 木星探査機ジュノー (画像引用:(NASA)  
 木星以遠を調査する惑星探査機としては、初めて原子力電池(RTG)ではなく、太陽電池パネルで電力を得るシステムを採用した。太陽電池パネルの性能が向上したからである。
 ジュノー木星探査期間は5年で、大気の深層部や両極付近に出現する巨大なオーロラ発生源のデータを収集、木星誕生の謎に迫ること、また、木星の組成、重力場、磁場、極付近の磁気圏の詳細な調査を行う予定である。
イ 土星とその衛星タイタンの探査  
 1997年10月、NASAは土星探査機のカッシーニ探査機、ヨーロッパ宇宙機関(ESA)の小型機ホイヘンスが、タイタンIV型ロケットによって打上げられた。
penSl    ◀ カッシーニ (画像引用:(NASA)  
 カッシーニは小型機ホイヘンスと一緒に打ち上げられ、2004年に土星に到着した。2004年12月24日、小型探査機ホイヘンスを土星最大の衛星タイタンに放出した。2005年1月14日、謎の多いタイタンの凍える大地に、初めて軟着陸した。そして、タイタンには、液状のメタンなどでできている「海《が発見された。
2014年6月、土星軌道投入から10周年を達成した。2016年に始まる最後のミッション、土星の北極上空を通過してFリングのすぐ外を通過する軌道を繰り返し周回しながら観測を行う。
 ⑦ 天王星と海王星の探査 
 1977年に打上げられたNASAの宇宙探査機ボイジャー2号によって、天王星と海王星2つの惑星が探査された。
penSP    ◀ ボイジャー2号 (画像引用:(NASA)  
 現在のところ天王星と海王星を探査した唯一の探査機である。これまで謎とされた天王星と海王星の様子が明らかになった。
 欧州宇宙機関は、2034年に天王星と海王星に1組の同型探査機を打上げ、太陽系の成り立ちを解明することを発表した。
ア 天王星の探査
 1986(昭和61)年、ボイジャー2号は、天王星に接近し探査の結果、天王星は自転軸が公転面に対して98度も傾きほとんど横倒しの状態で公転していることや未知の衛星を新たに10個発見するなど、大きな成果を上げた。 
イ 海王星の探査   
 1989(昭和64・平成1)年8月、ボイジャー2号は、海王星へ最接近し、海王星を撮影し、見事な大暗斑や秒速400mの強風になびく白雲などを観測した。また、海王星の衛星を新たに6個発見するなど、多くの情報をもたらした。
 ⑧ 准惑星冥王星探査機「ニューホライズンズ《の打上げ 
 何かと話題の多い冥王星には、これまで惑星探査機は一度も訪れていない。NASAは、2006年1月19日、冥王星を探査のために、ニューホライズンズ探査機を打上げた。2015年7月14日に冥王星に到着する予定になっている。   
 ⑨ 月の探査
 1961(昭和36)年、ソ連はボストーク1号でユーリイ・ガガーリンを世界初の有人宇宙飛行を成功させた。ガガーリンの言葉「地球は青かった《は、多くの話題を呼んだ。 
  NASAは1969(昭和44)年7月14日、アポロ11号機をサターンVロケットによって打上げに成功した。歴史上初めて人類を月面に到達させた宇宙飛行である。アポロ宇宙船は、司令船と機械船、月着陸船で構成されている。   
enSP enSP    左:司令船と機械船  
右:月着陸船(画像引用:(NASA)
宇宙飛行士のニール・アームストロング船長とエドウィン・オルドリン飛行士は、月着陸船イーグルで「静かの海《に着陸した。人類としてはじめて月面に立ったアームストロング船長の第一声は、「これは1人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な一歩である《と語った。アメリカは6回の月面着陸によって、月面や内部構造の探査をし、持ち帰った約400㎏の月の石の解析を行った。
 2007年9月14日、月探査機かぐやが打上げられた。かぐやは、日本初の本格的な月探査機である。主衛星と2機の子衛星から構成されている。
   ◀ 満地球の出 (画像引用:(JAXA)  
かぐやは、月面から輝いて昇る「満地球の出《の様子をハイビジョンで撮影した。満地球が撮影できるのは、年に2回、太陽、地球、月とかぐやが一直線に並んだ時だけである。月面から地球は、常にほぼ同じ位置に見える。そのため、月面に立っていてはこの光景を見ることはできない。月の上空を飛行するかぐやだからこそ撮影できたシーンである。画像は、上が南、地球の中央には太平洋、左下には北アメリカ大陸が見えている。
 かぐやは、2008年3月の時点で、計測点数が600万点以上に達し、その計測データの一部を利用した月の地形図が、2008年4月に発表された。

6.国際宇宙ステーション(ISS)  
 地球や天体の観測実験、研究などを目的に、地上約400㎞上空に16カ国が参加する壮大なISSの建設が、1999年から軌道上での組立が開始された。そして、2011年7月に完成した。30年間にわたる最終の飛行は 135回の目のアトランティス号であった。
   ◀ 日本の実験棟きぼう (画像引用:JAXA)  
 2008年 3月11日本の実験棟きぼうは、3回に分けて打上げられ、構想から四半世紀を経て、日本初の有人宇宙実験施設が完成した。
 きぼうは、ISSの中で、最大の実験モジュールである。船内実験室と船外実験プラットフォームの2つの実験スペースと船内保管室で構成されている。
船内実験室では、実験ラックを使用して微小重力環境や宇宙放射線などを利用した科学実験、船外実験プラットフォームは宇宙空間に直接曝されており、宇宙空間を長期間利用する実験や天体観測・地球観測などが行われている。
◆ 注釈
注1: アルマ望遠鏡:直径12メートルのアンテナ4台、直径7メートルアンテナ12台、直径12メートルのアンテナ50台で構成されるアンテナ群によって、精細でしかも天体の真の姿を電波画像を得ることができる望遠鏡である。(国立天文台)

◆ 参考文献
1:SPACE EXPO 2014 (NHK、NHKプロモーション、朝日新聞社)
2:国立天文台 (国立天文台アルマ望遠鏡)
3:朝日新聞、読売新聞、日本経済新聞
4:ウィキペディア
5:大学講義録「宇宙と人間(第1~15回)《(筆者著)
6:JAXAプレスリリース            

( 2014/11/03 記)  

以 上


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