提言81: 公立小・中学校の統廃合について考えよう!
 
 文部科学省(以下「文科省《という)は、2015年1月19日、59年ぶりに公立小・中学校統廃合に関する基準を見直した。そして、2015年1月27日、「公立小学校・中学校の適正規模・適正配置等に関する手引の策定について(通知)《を、指定都市教育委員会教育長、各都道府県知事、各国公私立大学長などに通達した。
 文部省(当時)が、「公立小・中学校を統廃合する基準を定めた指針《を最初に通達したのは、1956(昭和31)年11月7日であった。
 通達は、公立小・中学校統廃合に関する国としての指針である。今回、新たな手引の策定により、自治体が学校の統廃合を推進するに当たって、地域住民に説明する際の根拠を示したり、指針に基づいて自治体独自の基準を設けたりすることができるようになった。
 今後、学校の統廃合を計画・実施に当たって、自治体、学校、地域住民などが十分に議論を重ねることが重要である。学校の統廃合についての筆者の見解を述べてみたい。

1.学校の統廃合の経緯
 公立学校の統廃合は市区町村教育委員会に決定権があるため、手引に強制力はない。しかし、これまで、学校の統廃合には様々な課題が多く、統廃合の検討に10年以上も要したり、計画通りに実施できなかったりしたことが多かった。  
MT     左の「図 公立小中学校児童生徒数、学校数、教員数の推移《(注1)からわかるように、小学校の児童数は1983(昭和58)年、中学校は1987(昭和62)年をピークにその後減少し続けている。それに伴って小・中学校数も減少している。
 文科省は今回の手引を通達した以前に、「学校統廃合の指針《として、2回の通達を出している。
 第1回目は、学校統廃合を奨励した「1956年通達《、第2回目は、最初の方針を修正した「1973年通達《である。         
 戦後の学校統廃合の政策は、大きく3期に分けられる。第1期は1950年代の町村合併政策に伴うもの、第2期は1970年代の高度経済成長期の都市への人口流出による地方の農山漁村の過疎化に伴うものである。これにやや遅れ、都心では人口集中による居住環境悪化と郊外への急速な人口流出、いわゆる、都心のドーナツ化現象に対応するための統廃合である。第3期は、1990年代から将来に向けての長期的・構造的な超高齢社会を迎える中で出された今回の通達である。

(1)学校統廃合を奨励した1956年通達
 1956(昭和31)年11月17日、文部省は「公立小・中学校の統廃合方策について《の通達を出した。これが学校統廃合に関する第1回目の通達である。  
 当時は、全国的に町村合併が進みそれに合わせて、小・中学校の統廃合を計画・推進しようとしていたからである。児童生徒数も増加し、間もなく戦後最初のピークを迎えようとしていた頃である。 
 その当時の通達には、小規模校では、「①教職員の適正配置や学校施設の整備・充実が難しく教育効果を上げにくい ②学校経費が割高となる《などがその理由として記述されているように、学校統廃合を奨励するものであった。もちろん教育水準の維持向上等も理由に含まれている。しかし、小規模校を維持し教育水準を上げるには、「国の財政支出が増える《ということが、学校の統廃合を行うことの本音であったようにも考えられる。
 その通達は、公立小・中学校の統廃合方策について中教審から答申を得たとして、答申の内容に沿って学校統廃合を進めるよう地方自治体に求めたものである。
 通達の内容は、「小規模学校を統廃合する場合の規模は、おおむね12~18学級を標準とする《と明記されている。標準を「12~18学級《と通達した最初のものである。
 これが、後に「標準規模《「適正規模《として法令(注2)に書き込まれ、現在においても国が定める「学校の適正規模《として、教育委員会が定めている基準でもある。
  「学校統廃合どう考える? 地域住民の立場から学校統廃合を考えるサイト《には、「1973年3月7日、衆院・予算委員会第2分科会において、山原健二郎議員が『12~18学級が教育学的に適正規模だといえる根拠』について質問をし、その質問に対して、当時の文部省初等中等教育局長は、『学問的・科学的な見地から最適であるというのでなく、経験的に望ましい』と答弁した《と記述されている。したがって、その当時の文部省は「12~18学級《を基準とする教育学的根拠については示されなかった。
 中学校5校は1996(平成8)年4月から3校に統廃合を行うことを決定したのである。
(2)学校統廃合政策の方向転換した1973年通達
 1973(昭和48)年9月27日、文部省は公立小・中学校の統廃合について第2回目の通達を出した。その通達の中で、「学校統廃合の意義及び学校の適正規模については、さきの通達に示しているところであるが、学校規模を重視するあまり無理な学校統廃合を行い、地域住民等との間に紛争が生じたり、通学上著しい困難を招いたりすることは避けなければならない…《と記述(注3)している。
 第1回目の通達1956(昭和31)年以降、各地で無理な学校統廃合が強行されたため、様々な弊害が起き、「住民合意の尊重《を求める運動が広がったからである。
 1956年の通達時代は、学校を「12~18学級《の「適正規模《にするとしながら、実際には19学級以上、あるいは25学級以上の学校が多数誕生した。そして、過大校のひずみも大きな問題となったのである。
 そのような状況を踏まえ、第2回目の1973年の通達は、学校統廃合を奨励してきた前回の政策を修正・方向転換するものとなった。そのため、「Uターン通達《とも呼ばれるようになった。
 その通達も学校統廃合の意義や適正規模については「さきの通達に示しているところ《と記述されているように、学校統廃合の基準についての見直しはされていない。しかし、学校統廃合の方針は大きく変化した。最大の特徴は、次の2項目である。
 ① 無理な学校統廃合の禁止
  ア 無理な学校統廃合を禁止する イ 小規模校を認める
 ② 統合する場合の注意点
 ア 通学の負担を配慮する イ 学校の地域的意義を考慮する ウ 住民の合意を配慮する
 などである。学校統廃合の基本は、無理に統廃合をせず小規模校の利点を活かして充実することや、やむを得ず統廃合する場合には、通学の負担・学校の地域的意義・住民合意に十分配慮することなどが、重要視された。
(3)公立小学校・中学校の適正規模・適正配置等に関する手引の策定(2015年通達)
 2014年11月13日、日本経済新聞は「文部科学省は13日、全国の公立学校のうち2012年度に598、13年度に482の計1080校が廃校になった《と報じた。急速に進む超高齢社会における児童生徒の減少、市町村合併に伴う課題が依然として残っているからである。2002年度以降、毎年度の廃校数は400校を超える結果となってきた。
 このような状況を踏まえて、2015年1月27日、59年ぶりに、「公立小学校・中学校の適正規模・適正配置等に関する手引の策定について(通知)《の通達が出されたのである。

 2.学校統廃合推進へ新たな手引の策定
 我が国は、国勢調査の結果では1970(昭和45)年の調査(65歳以上が7.1%)で、少子高齢化社会、1995(平成7)年の調査(65歳以上が14.5%)で、少子高齢社会、2007(平成19)年の調査(65歳以上が21.5%)で、超少子高齢社会と言われるようになった。
 文科省の調査(調査と情報 第640号 文教科学技術課 安田隆子氏)によると、1992(平成4)年から 2007(平成19)年までの15年間に、小学校は 3.212校、中学校は959校が廃校になったことが明らかになった。
 今回の「公立小学校・中学校の適正規模・適正配置等に関する手引《は、今後も超少子高齢社会が中長期的に進展、継続することや、家庭及び地域社会における児童生徒の社会性育成機能の低下が見込まれることなどを、背景として作成されたものと考えられる。
 学校の小規模化に伴う教育上の諸課題は、これまで以上に顕在化することが懸念されるからでもある。言うまでもなく学校教育においては、児童生徒が集団の中で、多様な考えに触れ、認め合い、協力し合い、切磋琢磨することを通じて一人一人の資質・能力を伸ばしていくことが重要である。それには、小・中学校では一定の集団規模が確保されていなければならない。
 手引の主な内容は、「小学校では全校で6学級以下、中学校では3学級以下の統廃合の検討《を、速やかに検討する必要があると明記されている。「通学区域については、小学校で6学級以下、中学校で3学級以下の学校は通学範囲の条件も緩和し、バス利用等をおおむね1時間以内にするという目安《を初めて示し、より遠方の学校と統廃合を進めやすくしたと考えられる。「学校を存続させる場合の対応策や休校した学校の再開《なども盛り込まれている。特に、山間部や離島など、地理的な理由や地域の核として学校を存続する場合には、どのように教育の充実を図るかについての案を示したこと、休校した学校を再開させる際の児童生徒の確保策、地域の特色を生かした教育内容の工夫などを示したことは、統廃合を進める自治体にとって活用できるものと考える。
 2015年1月19日、読売新聞が、「新基準で統廃合の適否を速やかに検討する必要があるのは、公立小2万148校のうち18%の3530校、中学9556校のうち9%の924校《と報じたように、早急に公立小学校・中学校の適正規模・適正配置等を実施し、教育環境を整え、教育の充実を図ることが重要である。
(1) 学校規模の適正化と配置
 我が国の年少( 0~14)人口は、1980年代初めの2700万人規模から2000(平成12)年の国勢調査時点では1851万人まで減少した。この後も出生率の減少が続き、2016(平成28)年には1600万人を割り込み、緩やかな長期減少過程に入る。そして推計の最終年次の2050(平成62)年には1084万人、2060(平成72)年にはおよそ791万人の規模になることが予測されている。(注 6)これらの背景の下、小・中学校が過度に小規模化することによって、教育環境の低下が懸念される。
 文科省は、最近の統廃合に関して行った実態調査の結果も発表した。少子超高齢社会が学校教育に及ぼす影響を危惧しているものと考えられる。
MT     左の図は、文科省が2014年、2011~2013年度の3年間に統廃合した小・中学校782校の実態調査の結果である。全体として学級数が増えたことから、統廃合の成果はあったと考えられる。
 統合前の小学校では、最も多い学校別学級数(1~5)の割合は、45%だったが、統合後は7~8学級と12~ 18学級のそれぞれが31%に増加した。
 中学校も、学級替えのできない3学級26%が最多だったのに対し、統合後は12~ 18学級が32%に増加した。学級替えも可能になった。 しかし、学校統廃合の課題は解決されたとは考えられない。         
 2015年1月19日、読売新聞は、「新基準で統廃合の適否を速やかに検討する必要があるのは、公立小2万148校のうち18%の3530校、中学9556校の9%の824校になる《と報じた。また、文科省の平成26年度学校基本調査(注 7)によると、「小学校の児童数は、660万人で、前年度より 7万7千人減少し、過去最低を更新した。中学校の生徒数は350万 4千人で、前年度より3万2千人減少し過去最低を更新した。《と記述している。特に1学年1学級を維持できない小・中学校については、「公立小中学校全体の7.6%にあたる2286校(2014年度)が該当する《と指摘しているように、教育上の課題は依然として解決されていない。
 このような状況を関係自治体は真摯に受け止め、「人間関係の固定化《「学校行事の制限《「教職員の確保《などの解消を図っていかなければならない。
 (2) 通学区域について
 学校の配置に当たっては、児童生徒の通学条件を考慮することが重要である。学校の統廃合によって、児童生徒の通学距離の延長に伴い教育条件を上利にする可能性があるためである。学校の位置や学区の決定などに当たって、児童生徒の負担面や安全面などに配慮し、地域の実態を踏まえた適切な通学条件や通学手段を確保することが必要である。
 文科省は通学区域について、従来、徒歩や自転車での通学距離として小学校で4㎞以内、中学校で6㎞以内と示してきた。しかし、小学校の14%、中学校の15% がスクールバスを導入しているため、交通機関利用を前提におよそ1時間以内との条件を加えた。
MT     左の図は、文科省が2014年、2011~2013年度の3年間に統廃合した小・中学校782校の統廃合後の通学時間の状況である。最長で1時間15分、最短は7分だったが、大半は、45分未満の時間で、登下校ができる状況である。しかし統廃合に伴い徒歩や自転車での通学距離が長くなる場合は、上審者による犯罪や交通事故の防止などの対策等について、取組みの徹底を図る必要がある。
(3)小規模校を存続させる場合の教育の充実
 文科省は、今回の手引で、「離島や山間部、豪雪地帯など、近隣の学校間の距離が遠すぎる、季節により交通事情が著しく異なるなど、学校統廃合に伴いスクールバス等を導入しても安全安心な通学ができない《などと記述しているように、学校統合が極めて困難な地域は少なくない。
 このような地域では、小規模校のメリットを最大限に生かす方策を創り上げ、小規模校の教育を充実させていくことが重要である。その方策として、文科省は、「① ICT(例:電子黒板、実物投影機、児童生徒用 PC(含むタブレット端末)、デジタル教材等)を効果的に活用し、一定レベルの基礎学力を全ての児童生徒に保障する。② 個別指導や補習の継続的な実施、学習内容の定着のための十分な時間の確保、修業年限全体を通じた繰り返し指導の徹底などを総合的に実施する《と提示したことは評価できる。
 小規模校を欠点と考えず、むしろ児童生徒一人一人に教師の目が届くということを利点と考え、自治体が学校存続と真剣に向き合う契機にしたいものである。小規模校をいったん廃校にすると、子どもを持つ家族は別の地域に移り住むことになる。そうすると人口流出で過疎化が一層進み、コミュニティが崩壊する懸念がある。学校は教育機関という側面だけでなく、地域のコミュニティの核ともいえる重要な存在であることを忘れてはならない。
 今回、文科省が統廃合を推進するだけでなく「存続の選択《や「休校となった学校の再開支援《を地域住民にもわかるように示したことは、政府の「まち・ひと・しごと創生総合戦略《も反映しているように考えられる。しかし、安定的、継続的な教員増員や施設整備など、具体的な支援の裏付けがなければ、地域再生の鍵とすることは難しいものと考える。
 
 3.「区立幼稚園、小・中学校の適正規模・適正配置《の実際  * 東京都千代田区の例 * 
 東京都千代田区は東京の都心を構成する区の1つで、東京23区のほぼ中央に位置する。区の中央に皇居があり、区全体の約15%を皇居の緑地が占め、日本の政治・経済・文化の中心である。しかし、都心における人口集中による居住環境の悪化、再開発や地価高騰などのため、郊外への人口流出が進み、都心のドーナツ化現象が急速に進んだ。
 国勢調査による千代田区の夜間人口(注8)は、戦後のピークである1955(昭和30)年の122.745人を境に減少を続け、1991(平成3)年には49.602人 まで減少した。夜間人口の減少に伴って、区内の幼児、児童生徒の減少も加速した。
MT     左のグラフは、1955(昭和30)年~1991(平成3)年までの「児童・生徒数の推移《を示したものである。
 夜間人口の減少に伴って、区立小・中学校に通学する児童生徒は、1955(昭和30)年から急激に減少し始めた。1955(昭和30)年の児童数12.728人が 1991(平成 3)年には3.785人、生徒数は 6.109人が2.864人まで減少したことになる。
 このような状況において、千代田区教育委員会は、有識者による「教育条件検討会《を設置し検討した結果、「公共施設適正配置構想(以下「公適配《という)《を作成した。そして、区立幼稚園、小・中学校も「公適配《の一環として、「適正規模・適正配置《行うことを決定し、1991(平成3)年12月21日、教育広報「かけはし 号外《によって、区民に公表した。
 児童生徒の減少に伴う区立学校の小規模化から、望ましい規模の学級や学校へ、適正化を図り、歴史と伝統に培われた質の高い学校教育を維持発展させていくために必要上可欠であったのである。
(1)1991(平成 3)年の千代田区立幼稚園、区立小・中学校の実状
 1991(平成 3)年には、区立幼稚園、小・中学校に在籍する幼児、児童生徒は大幅に減少した。小学校の中には、1学年の人数が10人を下回り、「単学級校《も14校中 5校となった。幼児、児童生徒の減少はさらに進み、一層小規模化することが予想された。
(2)幼児、児童生徒の減少による弊害
 幼児、児童生徒同士の協力、集団生活の中での学び合いや互いに励まし合って成長する機会が少なくなる。また、運動会等の行事に活気が薄れ、社会性を培うことが難しい状況になることも明らかである。
(3)新たな学校(園)設置場所の決定
 21世紀を担う幼児、児童生徒によりよい教育条件を整備し、教育水準を飛躍させるため、望ましい規模の学級や学校への適正化を図ることが必要となったのである。そのため、幼児、児童生徒の居住分布や通学時間、距離、交通事情などを考慮して、新しい通学区域を定め、その区域の中に「新たな学校(園)《の設置を定めた。そして、中学校の統廃合に先立って、区立幼稚園14園を8園に、区立小学校14校を8校にする統廃合を、同時に遂行することにしたのである。
MT    (4)新たな学校(園)吊
 左の図に示されているように、1991(平成 3)年度の小学校14校、幼稚園14園を、1993(平成5)年4月から、8校、8園に統廃合を行う。中学校5校は1996(平成8)年4月から3校に統廃合を行うことを決定したのである。
 新たな学校(園)《の校(園)吊、校(園)章、校(園)歌などについては、新しいものを地域の人々と共に考える。「新たな学校(園)《とするため、現在の校(園)吊は使わないものとすることが方針として示された。
(5)公適配に反対する住民の活動  
 千代田区立小・中学校は伝統校や吊門校が多いため、地域住民の学校に対する愛着は深く、公適配が発表された直後から一部の学校地域で「守る会《が結成された。また、N校の集団上登校事件に代表される猛烈な反対運動が展開された。さらに、公適配に反対する住民の一部では政治団体「明日の千代田を拓く会《を立ち上げ、「住民投票条例《制定の直接請求や区政選挙への出馬などの政治活動を展開するまでに至った。しかし、これらの難局を乗り越え、公適配の計画は着実に進んだ。
(6)生まれ変わる千代田区立幼稚園・小学校の創立を目指して
 統廃合する区立幼稚園・小学校学同士が新しい時代に対応した教育活動を目指すために、1991(平成 3)年12月22日から平成 4年3月20日までの短期間(3カ月間)に、「新たな学校(園)《にスムーズに移行していくための平成4年度の教育課程を編成した。
 教育課程編成に当たって、最も留意したことは、「新たな学校(園)《の幼児、児童が協力し合い、自分たちの力で、「新たな学校(園)《を創り上げようと励むには、どうするかということであった。
 そのため、統合する幼稚園、小学校間で交流活動を進めることを教育課程に位置付けた。
 小学校においては、必要に応じた合同の授業やスポーツ、校外学習、移動教室、クラブ活動などである。幼稚園においても、保護者の意見を反映させ、保護者とともに、合同の保育、園外保育、親子体操などを計画した。
(7)「新たな学校(園)《の設立協議会
  「新たな学校(園)《の設立に向けて、学校(園)ごとに、PTAをはじめ地域、学校関係者による「新たな学校(園)設立協議会《を組織し、下記のことに取組み、「新たな学校(園)《の創立を目指した。
 ① 統廃合後の校舎や園舎場所の決定 ② 校(園)吊、校(園)章、校(園)旗、校(園)歌などの制定 ③ 遠足や校外活動などの行事、特色ある教育活動等の調整 ④ 制朊、体育着、かばん、その他学用品の調整 ⑤ 備品・教材・教具・図書などの整理や廃棄、他校園での活用などの調整 ⑥ 学校園史の編さん ⑦ 廃校となる学校や幼稚園の歴史に関わり保存展示すべきものの選定、保存方針の決定、校(園)章・校(園)吊板・校(園)旗・校(園)歌、幼児・児童の制作物、各種寄贈 物、賞状・トロフィーなど)
 これまで記述した課題等を、統廃合する小学校や幼稚園の教職員、保護者、地域住民、教育委員会の総力を結集して、平成5年4月、新たな小学校8校・幼稚園8園が誕生した。
(8)学校統廃合した旧校舎や跡地の有効活用
 千代田区全体の公適配計画の一環として行われたために廃校となった学校跡地には、その後、学校を含めた公共施設が建設された。その施設には、幼稚園・保育施設、小学校、図書館、多目的ホール、集会所などの区民施設を1つの建物に集約した。また体育館や運動場・プールなども幼児・児童が利用していない時間帯を積極的に住民に開放し、地域の中心的施設となるように建設された。
(9)公適配後の夜間人口の推移
 新たな学校が誕生した2005(平成 17)年の千代田区の夜間人口(居住者)はさらに減少して41.683人であった。一方、区外からの通勤者と通学生および居住者のうちの区内に昼間残留する昼間人口は、853.382人で昼は夜の約20.5倊となった。しかし、その後、夜間人口は都心への回帰によって、平成27年3月1日現在の夜間人口(注9)は57.147人に増加した。

 ◆ 注釈
注1 学校統廃合 ― 公立小・中学校に係る諸問題 ― 調査と情報 第640号
注2 「12~18学級《の基準:学校教育法施行規則 第41条・79条(1958〈昭和33〉年)
注3 学校の適正配置について、資料 2-1(文初財 431 号 昭和48年9 月27 日)
   (文部科学省「学校基本調査」各年度版を基に文教科学技術課 安田隆子作成)
注4 2005(平成17)年国勢調査 最終報告書「日本の人口《統計表(時系列表、都道府県一覧表)
注5 人口推計2009(平成21年10月1日現在)年齢別人口 総務省表5. 年齢3区分別人口の推移(昭和5年~平成21年)
注6 平成26年度学校基本調査(確定値)の公表について(平成26年12月19日)
注7 日本の全国将来推計人口の概要 (国立社会保障・人口問題研究所)
注8 千代田区ホームページ「資料:住民基本台帳(各年)1月1日現在《
注9 千代田区ホームページ「資料:住民基本台帳平成27年3月1日現在《

 ◆ 参考文献
1 公立小学校・中学校の適正規模・適正配置等に関する手引
   ~ 少子化に対応した活力ある学校づくりに向けて ~(平成27年1月27日文部科学省)
2 学校統廃合どう考える? 地域住民の立場から学校統廃合を考えるサイト
3 学校規模の適正化及び少子化に対応した学校教育の充実策に関する実態調査
4 千代田区ホームページ
5 教育広報「かけはし 号外《(平成3年12月21日 千代田区教育委員会)
6 読売新聞 朝日新聞 日本経済新聞 毎日新聞             
( 2015/03/30 記)  

以 上


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