提言95: 教科書検定不正 教科書会社と教員の規範意識を問う 
 
 検定中の教科書を校長や教員に見せ、謝礼を渡したという、教科書検定不正が最初に発覚したのは、三省堂による現金提供問題である。
 2015年10月30日、マスコミ各社は、「教委が校長処分検討 三省堂、不正認識し虚偽報告」、「三省堂検定中の教科書見せ5万円の謝礼、過去にも6回」「過熱する教科書営業の現場 三省堂による現金提供問題」などの見出しで、教科書謝礼問題を大きく報道した。      
 これを受けて文科省は、2015年12月11日、小中学校の教科書を発行する21社(三省堂を除く)に対し、同様の不適切な行為がなかったかを調査するよう通知を出した。教科書会社からの報告書提出期日を、2016年1月20日とした。
 文科省は、2016年1月22日、各教科書会社に求めた調査結果の概要を発表した。小中学校の教科書を発行する22社のうち10社が2009年以降、検定中の教科書を4000人近くの教員に見せ、現金などを渡していたことが明らかになった。
 今回の「教科書検定不正」は、文科省が定める規則「教科用図書検定規則実施細則」に違反して、検定申請中の教科書を教育現場の校長や教員に見せ、謝礼を渡すなど不適切な行為によって引き起こされた。この不正によって、教科書選定の公正性・透明性に疑念を生じさせ、公教育を担う教科書への信頼を大きく損なう事態になった。
 我が国の教科書選定制度の変遷にも関わりながら、筆者の見解を述べてみたい。
 
 1.我が国の教科書選定制度の変遷
 学校教育において、国民の教育を受ける権利を保障するには、全国的な教育水準の維持向上、教育の機会均等の保障、適正な教育内容の維持、教育の中立性の確保などが必要である。それ故、文科省は教科書の選定に当たって「検定制度」、「開申制度」(注1)、「認可制度」、「国定制度」など、その時代や社会の要請を踏まえて、教科書の選定を決めてきた。
 (1)学制発布以前の教科書
 我が国の教科書の歴史を遡ると、古代においては宗教の教典、中世においては古典や書簡集などがその役目を果たしてきた。また、近世になって藩校や寺子屋が普及するにつれて往来物が、子供の学習教材として作成され使用されてきた。
 (2)学制発布当時の教科書
 1872(明治5)年に学制が発布された。「学制」は、日本最初の近代的学校制度を定めた教育法令である。すべての国民に対して学校教育を整備し、近代的な国民教育を目指した。
 教科書については、当時その目的に適する図書がほとんどなく、欧米の教科書などを翻訳した書籍、寺子屋の伝統に基づく往来物、藩校の伝統に基づく漢籍などが混然として使用された。  そのような状況下にあって、文部省(当時)は臨時応急の措置として既存の一般図書の中から選んだ図書を、いわば標準的な教科書として推薦する一方、文部省自ら小学校教科書の編集出版を進め、教科書不足に対処した。
 (3)教科書検定制度の採用
 1877(明治10)〜1887(明治20)年代にかけ就学者が増加した。一方、小学校の教育課程や学校制度全般の整備が進むにつれて、教科書の内容や体裁も近代教育の推進にふさわしいものを整備することが必要となった。そのため、文部省は、1881(明治14)年、小学校教科書について府県が、一定の書式で文部省に届け出る開申制を取り入れた。次いで 1883(明治16)年、小学校及び中学校教科書について、府県が事前に文部省の認可を必要とする認可制に変わった。しかし、認可制は時間がかかり授業に支障を来すなどの声が広がり検定制に変わった。
 1886(明治19)年、小学校令、中学校令、師範学校令、帝国大学令が定められ、小学校、中学校の教科書は、文部大臣が検定した教科書を使用することになった。
 (4)小学校用教科書の国定制度の採用
 1902(明治35)年、教科書会社と採択側の教育関係者との間で、贈収賄が発覚し30数県157人が検挙されるという大事件(教科書疑獄事件)が起きた。その結果、法令上大部分の教科書は使用できないことになり、検定制度を維持することが事実上困難となった。
 国は1903(明治36)年に小学校令を一部改正し、小学校について以前から気運の高まっていた教科書国定制度を採用することになった。
 1903(明治36)年には、国語、書き方、修身、歴史、地理、1905(明治38)年から算術、図画、1911(明治44)年から理科の国定教科書が使用され、その後数次にわたる改訂を経ながら、第2次大戦敗戦に至るまで使用された。

 2.戦後の教科書検定制度の確立
 1945(昭和20)年8月15日、終戦を迎え、我が国の教育の諸制度が大きく改革した。1947(昭和22)年には学校教育法が施行され、6・3・3・4の学制が成立した。同年4月新制の小学校と中学校、翌年に高等学校が発足した。
 教科書は、終戦直後の混乱期には不適切な部分を墨で塗ったり、切り取ったりした「墨ぬり教科書」や文部省が作成した分冊仮綴りの暫定教科書などが使用された。
kyougi    ← 墨塗り教科書
 日本の戦前の教育は、軍事色の強い内容の教科書に基づいて行われてきた。そうした教育が、日本を戦争に駆り立てる一因になったと指摘されている。
 終戦後、児童生徒自身の手で、国家主義や戦意を鼓舞する内容の部分に墨を塗って教科書を修正した。いわゆる「黒塗り教科書」である。
 その墨塗りによる修正は、教育内容の転換の象徴として知られている。
 新学制の下で、従来の国定制度を廃止し、検定制度によることが決定した。
   1949(昭和24)年から小学校、中学校、高等学校において文部省検定済教科書の使用が始まった。その後、検定済教科書は改善、工夫されて急速に普及し、教科書は検定済教科書を原則として使用するようになった。一方、文部省著作教科書を高等学校の職業科や特別支援学校など、採択数が少ないため、民間の出版社が教科書を発行しない分野に限って補充的に発行するという現在の教科書制度が確立した。
 教科書検定は、教科書検定基準に基づいて、「学習指導要領への準拠性」、「児童生徒の発達段階への適応性」、「教材の客観性・公正性・中立性」、「内容の正確性」などが適切であるかどうかという観点を踏まえて行われる。
 
 3.教科書作成から児童生徒の使用へ
 教科書は正式には「教科用図書」と言う。小学校、中学校、高等学校、特別支援学校などで教科を指導する中心的な教材として使われる児童生徒用の図書のことである。児童生徒の教育に重要な役割を担っている。現在の我が国の教科書制度は、検定制度と無償給与制度を柱として運用され、毎年質の高い教科書が安定して供給されている。
 検定は、発行者から検定申請された図書を、教科書調査官の調査を経た後、教科用図書検定調査審議会において、専門的・学術的に審議され合否が決定される。検定はそれぞれの教科書について、おおむね4年ごとの周期で行われている。
 (1)教科書が使用されるまでの過程
kyougi    @ 教科書の著作・編集
 現在の教科書制度は、民間の教科書発行者による教科書の著作・編集が基本である。各発行者は、学習指導要領、教科用図書検定基準等に基づいて、創意工夫を加えた図書を作成し検定申請をする。
A 教科書検定
 図書は、文科省大臣の検定を経て初めて、学校で使用される「教科書」となる。発行者から検定申請された図書は、教科書調査官の調査後、教科用図書検定調査審議会において、専門的・学術的に審議される。
 文科省は、教科書の著作・編集を教科書会社などの民間に委ね、著作者の創意工夫を促すとともに、検定により内容の適切性を確保することを目的としている。
B 教科書選定
 多くの検定教科書の中から、どの教科書を使って児童生徒を指導するかを決めるのが、教科書選定(採択)である。
 教科書選定の権限は、公立学校においては、所管の教育委員会、国立・私立学校においては校長にあり、教科書会社などから送られた教科書見本(検定済み)を、慎重に調査・研究した上で選定する。
C 教科書の発行・供給 
 教科書が選定されると、必要となる教科書の見込み数(需要数)が文科省大臣に報告される。
 文科省はこの需要数を集計し、発行者に教科書の発行部数を指示する。この指示を承諾した発行者は、教科書を発行し、全国の各学校まで供給する義務を負うことになる。
D 教科書の無償給与
 教科書無償給与制度は、国公私立の義務教育諸学校の全児童生徒に、使用する全教科の教科書を、国が購入し無償で給与することになっている。
 1963(昭和38)年度に小学校第1学年について実施され、以後学年進行方式によって毎年拡大され、昭和44年度に小・中学校の全学年に無償給与が完成し現在に至っている。
 教科書の無償給与の制度は、次代を担う児童生徒の国民的自覚を深め、我が国の繁栄と福祉に貢献してほしいという国民全体の願いを込めて行われている。同時に教育費を軽減するという効果も担っている。
(2)検定制度の整備
 戦後の教科書検定制度は学校教育法の規定に基づき、1948(昭和23)年から始まった。1956(昭和31)年には、教科書検定審議会の委員の大幅増員、専任の教科書調査官の設置などの実現を見て教科書検定制度が整備された。
 1987(昭和62)年、臨時教育審議会答申を受けた検定制度の改正は、1989(平成元)年4月より運用された。その内容は、@審議会による修正審査 A改善意見・修正意見の一本化 B申請図書の公開 C検定基準の大幅な重点化・簡素化などである。
 新しい検定制度は、平成元年告示の学習指導要領に基づいて著作・編集された教科書の検定から本格的に適用された。

4.教科書検定不正 
 小学校、中学校、中等教育学校、高等学校並びに特別支援学校の小学部・中学部・高等部で使用される教科書は、4年ごとに検定が行われ、その翌年度各地で選定される仕組みになっている。
 文科省の教科用図書検定規則の実施細則では、検定中の教科書を外部に見せることを禁じている。また、一般社団法人教科書協会の自主ルールでは、選定に関わる教員への金品の提供を禁止している。検定中の教科書は公正な選定を行うため、外部に見させてはならないのである。しかし、教科書検定不正はこれまで何度も起きている。
(1)検定不正は100年以上前にも発生 
 義務教育の教科書選定では、100年以上前から不祥事が起きている。不祥事の要因のほとんどは教科書会社の選定のための競争である。
 1886(明治19)年、民間が編集した教科書を国が審査する検定制度が初めて導入されると、教科書会社間の競争が激しくなり、1902(明治35)年には、小学校教科書の選定関係者への利益供与が一斉摘発された「教科書疑獄事件」(前述)が起きた。国はこれを契機に、教科書を「国定制」に切り替えた。
(2)検定中の歴史教科書外部に流失
 2000(平成12)年には検定中のF社の歴史教科書が外部に流出し、それを入手した新聞社2社が検定教科書の内容を報道した。その内容を問題視した中国や韓国が日本政府に修正を求める事態も起きた。 
(3)三省堂の検定不正の発覚
 文科省によると、三省堂は、2014年8月、2016年度から使用される中学英語教科書について、外部への公表が禁じられている検定中の教科書を全国の公立小中学校長11人に見せて意見を聞き、謝礼金5万円や交通・宿泊費などを負担した。また、「謝礼金付き」の会合は過去6回開かれていた。
 この三省堂の検定不正の発覚が契機に、教科書会社12社の不正問題が明らかになり、マスコミ各社は、教科書検定不正を一斉に報道した。

5.教科書謝礼問題調査結果の発表 −教科書会社の規範意識の欠如−
 教科書会社の校長や教員への謝礼問題を受け、文科省が各教科書会社に求めた調査結果の概要が、2016年1月22日発表された。12社が検定中の教科書を校長や教員に見せるなど、2000件以上の不正行為を繰り返していた。現金や図書カードを受け取った教員は約4000人にも上がり、不正行為が広がっている実態が明らかになった。
(1)自己点検結果の概要
kyougi      左図の「自己点検結果の概要」から分かるように、謝礼なしで検定中の教科書を見せていたのは開隆堂と育鵬社の2社だけである。 
 現金や図書カードなどの謝礼を渡していたのは教育出版、光村図書、三省堂の3社。両方の行為が確認されたのは7社、7社のうち数研出版は12〜13年度、教科書を選定する権限を持っている自治体の教育長や教育委員計10人に3000円〜4000円相当の中元や歳暮を贈っていたことが明らかになった。また、光村図書、日本文教出版、三省堂が文科省に報告した謝礼の提供先に、教育委員会の課長や指導主事にまで謝礼を渡していたことが、3月6日のマスコミ報道によって明らかにされた。
 教育委員会の課長や指導主事が、選定の実務に携わった場合は、選定の公平性を確保し、高い規範意識が求められる。しかし、金品を受け取った教育長・教育委員・課長・指導主事の実態が明らかにされた。あまりにも規範意識の低下に驚くのみである。
 (2)教科書の検定・採択と問題行為の時期
kyougi     左図は、「小・中学校の教科書の検定・選定と問題行為の時期」を示した図である。
 この図から、2009年度と2010年度の検定時に謝礼を渡された教員の多いことが分かる。
    2009年度以降に謝礼を受け取った教員3996人のうち、2503人はこの2年間に集中している。
 2009年度と2010年度は、約10年に1度の学習指導要領の全面改訂で、「脱ゆとり教育」から「学力向上」へ踏み出した年度である。学力向上に合わせて、教科書の分量は2004年度検定で合格した教科書(算数・理科)に比べ、ページ数は各社平均で算数33%、理科37%、全教科合計でも25%増加し内容が一新された。一方、2013年度と2014年度検定の教科書の内容は小幅な変更に止まった。
 (3)教科書の占有率と違反数の関係  
 謝礼問題は2015年10月の三省堂に続き、他の9社でも明らかになった。読売新聞(2016年1月22日夕刊)は、「読売新聞の取材に対し、東京書籍は約2250万円、光村図書出版は約900万円、教育出版は約500万円を渡したことを認めた」と報じたように、教科書の占有率が高い会社ほど違反が目立つ。業界最大手の東京書籍の謝礼が最大である。
kyougi      左図は、小中学校教科書の主な教科別占有率である。金額や人数は教科書会社によって異なるが、教科書の占有率が高い会社ほど不正が多い。
 不正が最も多く報告されたのは、最大手の東京書籍である。
 読売新聞の(2016年1月22日)の報道によると、謝礼の提供は教員を集めた会議や個別の面談など計1079件で、教員計3996人に上がった。東京書籍が半数以上の708件・2245人に金品を渡していた。このほかは、教育出版247件・1094人、光村図書63件・463人、大日本図書28件・83人などである。小学校の理科で占有率がトップの大日本図書は、教員に会社での会議では5000円〜1万円計83人に渡していた。
 児童生徒の模範であるべき教員のルール違反が蔓延していたと言っても過言ではない。中には教科書選定に関与した教員も含まれ、「謝礼は採択への賄賂ではないか」と言う教育関係者の見方も出ている。
 新聞報道によると、「教員の中には謝礼は対価だ、責任は業者側にある」など、常識を疑う発言も飛び出しているようである。唖然とするほかない。
   
6.教科書会社と謝礼問題に関わった校長や教員の規範意識の低下
 前述したように、文科省の「教科用図書検定規則実施細則」では、検定中の教科書を外部に見せることを禁じている。また、一般社団法人教科書協会が2007年に定めた自主ルールでは、選定に関わる教員への金品の提供は禁止している。しかし、検定不正が起きた。教科書会社はもちろん、教員の倫理観も疑われる中で、教育界全体の信頼を損なうことになった。
 (1)不正な営業活動各社に蔓延
 教科書会社が教科書を見せたり、謝礼を渡したりした校長や教員は、教科指導に定評がある学校や地域の有力教員であったに違いない。専門分野に定評がある教員をできるだけ多く確保することが、調査員として選定に関与できると計算した上での不正行為である。自主ルールの趣旨を逸脱する行為で、自主ルール自体が形骸化していたと言わざるを得ない。 
 教科書会社は、「現場の声を聞き、教科書の質を高めたかった」と口をそろえるが、検定中の教科書は教科書検定審議会の指摘した部分以外は修正できないことは、十分に認識していたはずである。したがって、校長や教員への謝礼には、選定を有利に進められれば良いとするのみで、規範意識の低下に驚くばかりである。公正であるべき教科書選定を教科書会社が自ら蹂躙する行為である。
 (2)校長や教員謝礼後に選定関与
 教員が自分の専門教科について、教科書会社から意見を求められると、自分は教科書会社に認められていると感じたり、エリート意識を持ったりすることもある。教科書会社はこうした教員の優越感や規範意識の乏しさを上手く利用して不正行為に引き込んだとも考えられる。八尾坂修 九州大学教授は、読売新聞(2016年1月23日)の記事の中で、「検定中の教科書についてリポートを書いたり意見を述べたりし、謝礼や交通費受け取ることを安易に考えた教員が多かったのだろうか」と述べているように、非常に軽率な行為であったと考える。
 
7.検定終了後の説明会容認へ
 2016年2月25日、教員に検定中の教科書を見せ、謝礼を渡していた10社の社長が、文科省を訪れ、馳文科相に謝罪した。馳文科相は、「今後、同様のことがあれば、厳しい処分をする」と述べた。当然のことである。
 文科省は、説明会の開催を禁じた2007年の通知を見直し、2017年度から、検定終了後の選定期間中に教科書の説明会を開くことを容認する方針のようである。「説明会には各社が参加し、公平性や透明性が確保された環境で教科書をPRする。教員から現場の意見を聞き、教科書に反映させる機会にもなる」としている。そうなれば密室での検定ではなくなる。開かれた場で教科書の質的向上を目指すためには、検定期間中であろうと、その公開は認められるべきである。しかし、選定を期待しての公開・意見聴取は、厳に謹まなければならない。
 その体制づくりを具体化するには、2017年度に間に合うだろうか。それよりも、全国の教員に対して、検定中の教科書の取り扱いや教科書会社などとの関わりを周知徹底させることが必要である。
 
 ◆ 注釈1: 開申制とは1881(明治14)年、教科書選定を監督官庁に報告すればよい。
 ◆ 参考文献
  1 教科用図書検定規則実施細則(文科省)
  2 教科書が使用されるまで(文科省 平成20年度白書)
  3 教科書宣伝行動基準(一般社団法人教科書協会)
  4 朝日新聞・読売新聞・毎日新聞・産経新聞・日本経済新聞・東京新聞
( 2016/03/19 記)  

以 上


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